組織風土改革に関わっていると、必ず「えぇ…これやるんですか…」という場面に出くわします。たとえば、上位職の説得を必要とするとき、特定の既得権益に明らかに踏み込むとき、あまり評判の良くない人たちと関わらないといけないとき、予算取りに苦労しそうなとき……

 風土改革を形骸化させずに、なにか変化や業績に結びつけるためには、どうしても既存の何かを変えることに行き当たります。そこには反発が生まれるので、プロジェクトメンバーの及び腰につながります。

 別の言い方をすると、プロジェクトメンバーの真剣度が露呈する場面でもあります。すなわち温度差がハッキリしてきます。真剣に会社を変えたいという人は、どうやるのか?という議論に即移行しがちです。一方で、気楽なコミュニケーション改革活動と思っていたり、出世のために目立ちたいから参加したいという意識が根底にあった方は、なんとかこういった場面を回避したがります。ここで、プロジェクト内に不信感が生まれはじめます。

 一見、後者のほうがタチの悪いプロジェクトメンバーに見えてしまうかもしれませんが、そんなことはないんです。このような温度感はあるほうが自然です。全員が真剣すぎて周囲が見えていなければ、自己満足PJに終わってしまいます。取り組みの温度差はプロジェクトメンバーの中にも良い意味で温度差はあって良いのです(そもそもこの真剣度はPJが進むにつれて入れ替わることも多いです)。

 ただ、仲違いしては意味がありません。そこで我々コンサルタントは、プロジェクトメンバーの全体の状態を見て、「これ」に取り組むのが今なのか、もう少し後なのかどうかを、議論を深めるファシリテーションをしながら合意を形成していきます。信頼関係が崩れてしまっては話にならないので。

 最終的に「これ」に取り組むかどうかとなったとき、プロジェクトメンバーは当然コンサルタントの経験による判断に期待します。「冨山さんならどうします?」と聞かれることも少なくありません。

 つまり「ここはやりましょう!」というか、「であれば、少し先送りしましょう」というのか。仮に私がそう答えても、すぐに結論がでないことがほとんです。「やりましょうと言ってもなぁ…やっぱり先送りした方がいいのかなぁ」と推進派が今度は先送り派に回ってみたりと、紆余曲折することもあります。まぁ、当然ですよね。

 ある程度成熟した議論に基づいて、このような判断への助言をコンサルタントが求められることはPJ支援中に何回もあるのですが、その中でも、「押し引き」を誤ってはならない分水嶺的なものに直面することがあります。つまりプロジェクトメンバーが何と言おうと、強く「ここはやりますよ!やる前提でやりかたを考える議論に移行しましょう!」と言うのかどうか。

 この仕事に20年近く関わってきて思うのは、我々コンサルタントの仕事において、ロードマップを描くことよりも、要望を汲み取ることよりも、結局この「押すか引くか」の判断を支援することが一番大切だといっても過言ではないということです。だいたいこの分水嶺は、後から振り返ると、その組織の問題の核心やその組織ならではの意思決定の悪いクセに触れています。そこを押し切って、やり方を考えられるほどの信頼関係があれば、プロジェクトはグッと前に進みます。

 即座に判断しないといけないので、素地は経験と勘です。実際に振り返ると、あそこで押していれば、あのとき強く進言していれば——後悔すればキリがありません。それだけ、この一手は重いと思っています。

 では何が判断の精度を分けるのか。振り返ってみると、うまくいったときは決まって、担当者との信頼関係の構築が間に合っていて、インフォーマルな情報量も充分で、自分の判断に自信を持てたときでした。当たり前のようですが、風土改革のプロジェクトは人が作るチームですから、信頼があってはじめて思い切った判断ができる。これはコンサルタントであれ社内の担当者であれ同じです。

 信頼関係があると言っても、私は所詮は部外者です。本質には関与できませんし、業務の深いところまで知っているわけではありません。限界があります。ただそれを逆手にとって、このような場面でクライアントに言うことがあります。「ここで強く推したのは、冨山ですよと、私のせいにして、私の契約を切ってくれて構いません。」この立場の違いは、うまく使えば武器になります。社内では言えないことを、外の人間が言う。これはきれいごとではなく、実利の話です。

 この距離の取り方については、忘れられない言葉があります。コロナ禍で畳みましたが、私には、父が創業した宅配弁当屋の経営を10年ほどサポートしていた時期があります。この時期は、父は身内であると同時に、私のクライアントでもありました。その父に最初に言われたのが、「弁当屋の肝は調理と配達。お前はこれを知りすぎるな。もちろん、社員事情も。知りすぎると、配慮しすぎて、言えないことが増える。こんなときにこんなことをさせたら可哀想だ、と感情移入してしまう。その結果変えられることが変えられないなら意味がない。外形は把握しつつ、深く知りすぎるな。」でした。

 信頼関係は近づくこと、知りすぎないことは離れること。一見矛盾しますが、この距離をうまく御することこそが、判断の質を決めると思っています。近すぎて言えなくなった瞬間に、価値は失われます。配慮しすぎれば、短期的には気楽でも、何も変わらない。長期的に残るのは不満と不信、そして凋落だけです。

 昔なじみのお客さんに「冨山くんも、年を重ねてだいぶマイルドになったね」と言われることがあります。私はこれを、褒め言葉ではなく忠告として受け取っています。誰にも配慮せず、言うべきときに毅然と言いたい。それで起業したのですし、それこそが私の強みだと思っているからです。年齢とともに無意識に生じているであろう守りの姿勢や、色々と知ったからこそ生まれる「誤った配慮」を御して、この判断の質だけは、これからも磨き続けたいと思っています。

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