子供が小さかったころ、父親として言われて辛かったこと

 SNSをみると、ある投稿に対して、立場の弱い人をおもんぱかれとか、不謹慎だというようなリプライがつくこと、ありますよね。たとえばどこかで大地震があって、その1ヵ月後くらいに「豪勢なごはんが美味しかった」と書くと「被災地では満足に食べられない人もいます。配慮に欠けてませんか?」とか。「安定期に入りました」と有名人の方が書くと「赤ちゃんがほしくてもできない人が見たら悲しむと思いませんか?」とか……。

 たしかに傷つく方がおられるのは事実でしょう。ただ、それを突き詰めると、どんな発言も誰かの心に引っかかりますし、発信者も悪気なく書いたことだとしたら、逆に発信者を傷つけることだってあります。

 こういう”配慮がない”と言われてしまう発言。私は自分が言われる立場だとしても、普段はほとんど気にしないほうですが、大多数とは異なる状況下にいるなぁと感じているときにいわれると、話は別なのかもしれません。そう考えるのは、私自身にも少数派として、色々と言われた時期があったからです。

 いま高校2年になる息子が生まれたのは、2010年。そこから3歳になるくらいまでは、それこそ気になることをずいぶん言われました。

 当時、週の半分以上は私が子供をみていました。そのような状況を男女問わず知人に話をすると、「お子さん可哀想じゃん、お母さんが良いに決まってるのに」「えっ?ヒモ?」「奥さんを働かせるのは、男としてどうなんだ?」「独立して、そんなに仕事困ってんの?」と、会う人ごとに口々に言われたものです。父親が育児の主担当という家庭は、まだ少数派でしたので、やむを得ないとも思いましたが、カチンとくることは結構いわれたなぁと。

 箱根に妻の両親も一緒に旅行したときにも、こんな話がありました。義母も妻も風呂に行き、私が息子をみていたら、泣き始めてしまいました。うんちでも空腹でもない、眠いのかな……と考えていると、仲居さんがやってきて、「ちょっといい?」と息子を抱き上げ、「あらあら、ママがいないと寂しいよねぇ」と言いました。言い返しはしませんでしたが、ちょうど接し方に悩んでいたときだったのもあって、心の奥で何かが折れるような、何とも言えない感情に襲われたのを今でも覚えています。

 保健所の健診でも、「あら、お父さんが連れてきたのね。○○ちゃんのことわかるかなぁ?」とのっけから言われ、(なんだこの○○ぁは!)とムッときて、「わかりますよ、私もそれなりにやっていますから」と言い返したことがありました。とても信用されている感じはしませんでしたが…

 ただ、どれも悪気があったわけではないと思っています。この発言をした方のほとんどは、多くの人が見ている「景色」に合わせて、そのまま反応しただけなのでしょう。そもそも、だいたいの人は大勢の価値観で動いているのではないでしょうか。

 もちろん、明らかに悪気というか、意地の悪い感じで言ってくる人もいました。保健所の担当は意地悪だったなぁと、今でも思っています。私もそこそこカチンときました。ただ、ゆとりさえあれば笑い飛ばせた話ですし、少数派とはそんなものだと自分に言い聞かせていました。いずれ感謝されるはず……そんな思いだけを勝手に支えにして、やっていたものです。

 悪気のない人が相手の場合は、気にするだけ損。悪気のある人は、関わるべきじゃない人を見つけた、というだけ。どちらにしても、考えすぎないことが大切だと思っています。

 こう言うと「みんながキミみたいに強いわけではない」と返されることもあります。では、どこまで、誰に配慮すればいいのでしょう。正直、明確な線引きなどできないと思っています。配慮は大切ですが、配慮しはじめたらきりがなく、結局は受け取る側の問題でもあるからです。

 戦後のドラマやニュースを見返すと、今なら到底許されない表現が平気で流れています。それが60年代より80年代、80年代より2000年代と、時代が下るごとにルールや教育、社会のマインドが整備され、誰かを傷つけない配慮ができる時代になってきました。よいことだと思います。それこそ、私が言われたようなことを言われる確率は相当低いのではないでしょうか。

 人は人、自分は自分。自分自身がやっていることは、意味がある。誰かが見てくれていると思い、だからこそ、気にしすぎず前を向く。結局はそこに尽きるのだと思っています。

 いずれにしても、あの経験は自分のメンタルを相当強くしてくれました。私なんかより遥かに前に父親育児をしていた方を知っていますが、本当に苦労されたんだろうなぁと思います。

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