考え方の本質は古典にある?

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 最近、本屋に行くとやたらと「考え方」や「方法」についての本がたくさんあります。当然こういう本は面白いですし、真似をするという意味では大変役立つものだと思いますが、非常に興味深いと感じたり、いい本だなぁと思える本の著者は、意外と古典に造詣が深い方ではないかということが行間から読み取れます。  古典といっても、なかなか定義付けが難しいのですが、「論語」という中国古典は当然古典ですが、カーネギーの名著「人を動かす」も十分に古典だと思います。長いこと、人の心や脳の中で生き続けている書物には、やはり廃れない「考え方それ自体」が書かれていると感じます。近代の単発的にはやる本は、パッケージ化された考え方が書かれているのですが、それはどこかにある考えの本質から導かれているわけです。  それが具体的な体験や事例に基づいて書かれていれば、また別なのですが、抽象的に思考法だけ書かれている本も最近は少なくありません。「これをやるためにはどうやるの?」という「やり方」に対して本が解を与えているわけで、考えようによっては、WEB検索と大差ないように感じます。  本当に考える力を鍛えるのであれば、古典的書籍を読むことが大切ではないかと最近つくづく感じて、読むようにしています。機会があれば、おいおい紹介していきたいと思います。
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