父が脱サラして宅配弁当屋を始めたのは、バブルまっ只中の昭和62年。父から聞いた話では、いわゆる出前はあっても、弁当を宅配するというビジネスはまだまだ算入する余地があったそうで、実際、自分が小学生のころは、かなりゆとりのある生活をしていた記憶があります。
バブル崩壊後の話は、あまり色々書くと父の悪口と捉えられかねないので、詳細は控えたいと思いますが、色々と模索しながら、家でもお金の話題はよく耳にするような、自営業であれば多くの家であったであろう会話を耳にしながら、中高時代を過ごしていました。
そんな宅配弁当店を畳んで4年が経ちました。昭和62年(1987年)に個人創業し、平成元年(1989年)に有限会社として法人成り。平成23年(2011年)の株式会社化を経て、令和2年(2020年)解散・令和3年(2021年)、清算しました。
昭和から令和まで駆け抜けたのをみると、非常に長いことやれて良かったと思わなくもないですが、当の父本人がどう思っているかは聞いたこともないのでわかりません。聞いても言わないでしょうし。
経営が少し傾きかけたのをキッカケに、私が関わるようになったのが2010年。そのころからコロナ前までは非常に順調で、まもなく無借金経営になるというところまでいきました。必ずしも無借金経営が良いとは思っていませんが、父が高齢であり、私が継ぐわけでもなく、仮に続けるとしても、従業員の誰かに引き継いでもらうか、事業売却することになっていたわけで、無借金にしておくことは私にとっては重要な目標でした。
ほぼ事実上の無借金経営を達成したというところで、コロナが直撃し、ちょうど店舗の賃貸更新時期も近かったこともあり、父を説得して事業を畳むことにしました。
あのまま誰も決めずにズルズルと経営を続けていても、おそらく今頃真っ赤になっていて、あっという間にものすごい借金を抱えていたことと思います。
とはいえ、生きがいを奪ってしまったのではないかとか、自分がもっと稼げていたら、お金を気にせずに伸び伸びと経営させてあげられたのかもしれませんが、あの時期ではとてもそのような判断をできる胆力は私にはありませんでした。
もちろん、コロナ禍でも上手に経営をし、宅配弁当店として勝ち残った企業さんもあります。今思えば、もっとアイデアの出し様もあったと思いますが、自分がどっぷりと関われない以上、借金経営にもどることを回避することを最優先で動いたように思います。
幸いにも、すべての従業員が次の仕事を見つけて転職していきましたし、現在の賃金環境や仕入れ高高騰の環境に耐えられたとは思えないので、結果論ですが、最適な判断だったと思っています。
この件も含めて、公私問わず、色々と重大な判断を迫られた場面はありますが、どの場面もそれで正しかったのかと考えることは多いです。考えても仕方がないことではあるのですが、考えることが無駄ではないなとは思います。年を重ねて改めて考え直してみると、こんな判断もあったなと思えるので。
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