手間暇を掛けることの意味

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 組織は、基本的に収入を伸ばして費用を下げようとしますから、効率化できるところは効率化しようというのは当たり前の行動です。最近は機械技術に加えてICTを使って様々な自動化を進めて効率化を進めていく技術は多くの産業で進んできました。

 一方で、効率化という言葉を意識するがあまり、社員が「あらゆるものを効率化することが評価になる」と勘違いして、なんでもかんでも効率的に考えることが大切だと考える風潮がうまれてしまうことがあります。そういう環境下で効率化というと、「時短」「自動化」「平準化」をイメージして進めます。たとえば、「会議の時間短縮」「残業禁止」「業務のマニュアル化」「グループ員の誰がやっても業務品質が変わらないようにする」「研修体系を組んで効率的に人の育成」などが思い浮かびます。

 効率化を進めるときに、根幹が「時短」「自動化」「平準化」であることは何ら問題ないと思いますが、「近視眼的な効率化」しか考えず、思考停止していると感じる企業にでくわすことがあります。具体的に言うと、「会議Aは、アイデアだしなので、どうしても3時間はほしい」とあったとします。「どんな会議であっても1時間厳守!」と言われてしまうと、結果的に効率が悪化するわけです。1時間ずつ小分けにやるよりも3時間一回でやったほうが効率的な会議もあるわけです。

 私が関わった企業でもいくつかあるのですが、社長が「効率化を進めてほしい」と旗をふると、多くの役員・部長は「近視眼的な効率化」をイメージしてしまいます。たしかに、それを期待する社長もおられますが、多くの社長は、「近視眼的な効率化」だけを考えていては、長期的な企業価値が低下することは理解していますから、「本当にムダな部分だけをそぎ落としてほしい」と考えているわけです。そこで、私のクライアントのある社長は「みなさんの職場を筋肉質にしてください」と、その当時流行っていた表現で伝えたわけですが、いきなり旧態依然とした体育会系な職場が増えて、それはそれで思考停止な意思決定をする職場が増えたのです。

 つまり、「効率化」だけを伝えると「近視眼的な効率化」と捉えられてしまうことが多く(簡単で評価されやすいため)、思考停止に陥る傾向が生まれます。

 風土改革は、進めている仕事だけを見ていると、効率化に反するプロセスが非常に多いです。どちらかというと、「いかに手際よく手間ををかけるか」という矛盾と戦っていくプロジェクトになります。だからこそ皆さん、よく頭を使って考えるので、上位職に対してもキチンと発言できるようになりますし、部下に対しても部下を尊重した上で、フラットな議論ができるようになります。手間暇をかける過程で社員は成長します。これは確かです。一方、同じ効率化であっても、「長期的視点での効率化」は極めてタフな仮説思考が求められるので、社員が成長します。

 まとめると、

  • 近視眼的な効率化 ×(考えなくなる)
  • 手際よく(できるだけ時間を意識して)手間をかける ○(思考が深まる)
  • 長期的視点での効率化 ○(思考が深まる)
  • まったく時間を意識せずに手間をかける ×(考えなくなる)

というふうになります。効率化を考えるときは長期的な効果を、手間をかけるときには手際を意識するといった風に、矛盾した要素を掛け合わせてこそ成長する環境が整います。

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